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日语唐诗三则(附解释)

来源:沪江论坛 |  时间:2006-02-03 |  作者:akila_82 |  [    ]  浏览:5372  [收藏]  [划词   ]
登岳陽楼(岳陽楼に登る)

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昔聞洞庭水 昔聞く洞庭の水
今上岳陽楼 今上る 岳陽楼
呉楚東南圻 呉楚 東南に圻け
乾坤日夜浮 乾坤 日夜に浮ぶ
親朋無一字 親朋 一字無く
老病有孤舟 老病 孤舟有り
戎馬閑山北 戎馬 閑山の北
憑軒涕泗流 軒に憑れば泗流る       

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●読み方
   
(がくようろうにのぼる)

むかしきくどうていのみず
いまのぼる がくようろう
ごそ とうなんにさけ
けんこん にちやにうかぶ
しんぽう いちじなく
ろうびょう こしゅうあり
じゅうば かんざんのきた
のきによればしりゅうながる㳁㛐捔ﳡ擀곅塁http://bulo.hjenglish.com/group.htm©版权所有沪江网塁곅擀ﳡ捔㛐㳁

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○「主題」岳陽楼にのぼり雄大な景観を眺望し詠じた詩。
○「詩形」五言律詩。
○「年月」七六八(大暦三)年。岳州の作。

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●解説

 雲安を出発キ州に到達した杜甫は、ここに三年滞在した後、舟でこの地を去
り、三峡を下り湖北省の江陵に至る。さらに公安に移って、その年の暮には、
湖南省洞庭湖東北岸の町、岳州にたどり着いた。一首は、そのおり、県城の西
門にそびえる楼で、洞庭湖を一望にしうる岳陽楼に登り、雄大な景観を眺望し
ながら詠じた詩である。

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●通訳

 昔から洞庭湖の壮観は噂に聞いていたが、思いがけなくも今、岳陽楼にのぼっ
て、それを眺めわたすことになった。見渡せば、呉楚の地は、ここ国土の東南部
で、二つにひき裂けて洞庭の湖水となり、はてもなくひろがるその水上に天地が、
日に夜に浮動している。

 さて、今の私には、親戚朋友から、一字の便りだになく、老病の身には、ただ
一そうの小舟があるだけだ。便りのないのも道理、今もなお戦争が、関所の置か
れた山々の北、故郷の地方にうち続いているのだ。それを思いつつ、てすりによ
りかかっていると、涙が流れ落ちてくる。浝鿍蕷⢋犔毿艐http://bulo.hjenglish.com/myfeed/©版权所有沪江网艐毿犔⢋蕷鿍浝

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●語釈

〇呉楚 古くは呉と呼ばれた今の江蘇省のうち揚子江以南の地と、楚と呼ばれた
今の湖南、湖北の地をさすが、ここでは洞庭湖一帯の地をさしていったものであ
ろう。〇東南 国土の東南にあたる地方という意味。東と南ではない。〇圻 二
つにひき裂けること。〇親朋 親戚や友人。〇一字 わずか一字の消息。〇孤舟
 一そうの小舟。〇戎馬 兵馬、戦争のこと。〇閑山 関所をなしている山。
〇軒 てすり。〇涕泗 めめしい涙ではなく国家の不幸を悲しんで流す、悲愴の
涙である。暫猪薲菲멾㐶䍈沪江欢迎您!©版权所有沪江网䍈㐶멾菲薲猪暫

●楼・浮・舟・流。

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●杜甫伝記14「天地の一沙鴎」吃譧痖껈䏲㯮俓http://jp.hjenglish.com©版权所有沪江网俓㯮䏲껈痖譧吃

 成都を去った杜甫は、舟を浮かべて妻子と共に揚子江を下った。杜甫は五十四
歳、永泰元年(七六五)夏五月のことである。舟はまず嘉州、すなわち今の四川
省楽山県に寄泊した。そこで杜甫は、自分を慕って訪れた従兄と家族に会い、酒
食の接待をうけ、長歌、短歌のやりとりをして旅のつれづれを慰めた。ついで立
ちよった戎州では、長官揚某の酒宴に招かれた。さらに重慶に舟を泊めた後、忠
州に向けて出発した。忠州には、甥の一人が長官していたが、世話になるのを避
けて揚子江の辺にある竜興寺に身を寄せていた。

 その頃、さきに成都で急死した厳武の柩が、郷里に帰葬のため舟でこの町を下
ってゆくのを涙ながらに見送りつつ、かっての礼遇に感謝した。また江の南岸の
屏風山には、古代の聖天子の一人、夏の禹王を祭った廟があったので、ここを訪
ねて詩を賦したり、時には甥の長官の家に招かれて、他郷ながらの楽しみを尽く
すこともあった。しかし、それもしばらくの間のことであった。

 中秋を過ぎた頃。再び揚子江に舟を放ち一路東向かって揚子江を下った。途中
経過する揚子江沿いの町々には、晩煙がさかんにおこり、山から湧きおこる雲の
たたずまいは、去来定まらず、寒そうであった。船旅のなかで、杜甫は幾度か岸
辺に舟を泊めて「旅夜懐を書す」題した詩を歌った。詩文でしか世にその名を知
られることない不満を抱きながらも、詩人以外の路を選ぶことの出来ない運命が、
身の上にも及びつつあったことを、すでに杜甫は自覚し、悟りはじめていたよう
である。ﷁ傳䟿⅙폐寍http://bulo.hjenglish.com/myfeed/©版权所有沪江网寍폐⅙䟿傳ﷁ

 ともあれ、杜甫と家族をのせた舟は、秋も深い重陽の節句に近いころ、雲安に
到達した。ここは現在の雲陽県である。四川省の東部にある揚子江沿いの町であ
る。ここまで来る途中、揚子江の水の湿気で杜甫は、持病の肺疾に加えて、足の
痺れがひどくなった。これ以上船旅を続けるのが困難となったので、ひとまずこ
の町に上陸することにした。

さいわい県令の厳某が揚子江に臨んだ小閣を提供してくれので、杜甫はこれから
約半年の間、ここで療養することになった。寓居にあてられた小閣は、後ろは岩
山であった。前方は万尋の高岸が突っ立つところ、その下を揚子江の碧流が渦ま
いて流れていた。朝夕そうした景色を眺め病をいやす杜甫は、時に召使いの女を
呼んで酒壷を運ばせたり、子供達には「文選」を読ませるなどして、旅愁を慰め

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